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博多 華丸大吉の >>

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始祖鳥de親子丼
ものの順序というのは思いのほか重要である。
・靴下は左足から
・三角食べは味噌汁から
・前戯は乳輪から
こうした慣例的序列を破ったとき、ひとは言いようのない違和感に苛まれる。
誤解なきよう、上記の例は筆者とは無関係であることを強調しておくが、なんにせよひとはそれぞれ自分の順番を持っていて、意識せずともそのきまりに従って生活している。ひとの行動において順序というのは大きな意味を持っているのだ。
言葉も同じである。

「卵が先か、鶏が先か」という表現を考える。
この謎かけめいた表現は通例「明確な答えはないからどうしようもない」という諦めの念をはらみながらも、不安定な与件をあえて不安定なまま共有することでとにかく議論を先に進めたい場合などに用いられるが、実際問題この言葉そのものだけをとらまえれば、その答えはふたつの方法によってある程度固めることができる。
ひとつは進化論に則った考え方、広義の「卵」と「鳥類」の存在はどちらが先であったかということで、現在の学説を正とするならそれはもう圧倒的になんらかの「卵」の方が先に存在していたはずなのである。始祖鳥とワカメの卵はどちらが先に存在したか?答えはワカメである。
ただこの考え方には重大な穴があって、前述した”広義”というところを拡大解釈ととられる可能性は否めない。
日本語が使える人間なら誰しも理解できることで、
「卵が先か、鶏が先か」と聞けば即ち
「(鶏の)卵が先か、鶏が先か」ととらえるのが”普通”である。
であるからして、この解答をもって鬼の首獲ったりと誇らしげにひけらかしたところで「屁理屈」「左脳人間」「去ね」などと周囲全般から誹謗中傷のシャワーを浴びせられるのがオチである。

一方、もうひとつ全く異なる解答法があって、それは人間の心理的なところをもとにした考え方である。
これはもう至極単純な話で、質問の仕方を
「卵が先か鶏が先か」と「鶏が先か卵が先か」
どちらで聞くかによって決まってくる、というのが結論だ。
前者で質問されれば誰しもまず卵⇒ひよこ⇒鶏⇒産卵 という映像を頭に描くし、後者で質問されれば鶏⇒産卵⇒卵⇒ひよこ という絵を浮かべるであろう。
この映像を思考のなかでエンドレスループさせているうちに脳内はグダグダのメロンメロンパンナちゃんになってしまうため翻弄されがちであるが、少なくともそのループのスタートとして選んだ方(質問の際に先に言われた方)を、なんとなーく潜在的に”先”であるかのように感じてしまうところがないだろうか。それが答えである。
一見モヤッとするような解であるが、もし物理的なところで納得できる答えが出ないのだとすると、こういった解答法も立派に意味をもってくるのではないかと思う。
これまた「もう喋らんでええよ」「お前も帰ってよし」と軽く2日ほど出社拒否したくなるような罵詈雑言を頂戴する可能性があるが、前者の論法を説くよりは結果として嫌われずに済むんではないかと思う。

太陽は昇って沈むというが、実際にはそれと同じ回数沈んで昇っている。
窓は開けたら閉めるべきだと教えられたが、閉めたら開けるべき季節だってある。
便宜上つけた言葉の順番がひとの意識・イメージを潜在的に左右し、さらには一般論やルールとして社会的にひとり立ちすることだってある。
あのカトちゃんのお茶の間ギャグだって、順序を変えた瞬間一挙にその軽妙なテンポを失い、スカトロフレイバー漂う有害フレーズへと生まれ変わってしまう。

ちんちんうんこ。
言葉の順序というのは、思いのほか重要である。
| コラムと下ネタ | 11:53 | comments(0) | trackbacks(0)
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