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九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 -City of Darkness-
九龍城はエリア広域の名称で、みんながイメージするあの高層スラムは「九龍城砦」というのが正式らしいですよ。
ちなみにいまは完全に取り壊されてのどかな公園になっているとか。まったく使えないマメ情報。

これはまぁ、いわゆる蔵書ということで。
| | 23:15 | comments(0) | trackbacks(2)
アヒルと鴨のコインロッカー
凛とした清廉。未熟ゆえに痛快
単に推理小説と紹介するには惜しい、読後すぐに誰かに会いたくなるような瑞々しさに満ちた物語である。

コインロッカーに神様を閉じ込めたアヒルは、たまたま出会ったその世界に自らも閉じ込め、のんびりと次なる神の声を待つ。たまたま出会った物語で飛び入りの神様を演じた鴨は、主人公たちを優しく見送りながら身の丈に合わない十字架を静かに降ろす。

「アヒルと鴨か。よく似ている動物にも見えるけど、実際には全然違う。」
「俺がアヒルなら、椎名は鴨。それくらいしか違いはない。」
| | 02:03 | comments(0) | trackbacks(3)
流星ワゴン
巻末のあとがきにもあるように、家族のディスコミュニケーションを主題としたお話。
特に「主観と客観」というコミュニケーションの種の部分(同時にディスコミュニケーションの種でもある)について、ときに軽妙だったり、ときに悲観的あるいは絶望的だったりと様々な立ち位置でアプローチする描写が印象的で、趣深い。
それらのほとんどは「主観を否定する客観」というカタチで描かれていくのであるが、これは物語を運ぶエンジンとして機能するファンタジー要素、「タイムスリップ」という手法に起因するものであろう。
一度は通過してしまった時間に何らかの手段をもって舞い戻る、これがタイムスリップ劇であるが、この手法のミソはタイムをスリップする前からその結末がわかっている(即ち客観的立場にある)ところであって、その上で当時主観的に過ごした時間を振り返るからこそ、重層的なドラマの広がりが生まれる。
この本が通常のタイムスリップ劇と異なり面白いのは、この「客観的立場」の主人公にあえて自由を与えないところである。そしてさらに意地の悪いことにその”不自由”に読者が慣れてきた頃を見計らって筆者はこのルールに”うねり”を加える。これにより読者は不自由さの中にも微かな期待(運命の転換に対する)を抱き始めてしまうわけであるが、残念ながらそれはまた何ページか後には冷たく突き放される。次は騙されまいと読者が殻に閉じこもろうとすると、またもや新たな”うねり”が甘い顔をして現れ、今度こそはと意気込んで読み進めてもその期待はまたもや粉々に打ち砕かれる。
タイムスリップ劇にあるはずのカタルシス、その手で運命を変えていく手応え。それはこの物語ではことごとく否定され、主人公は確かに客観的で”当時”とは異なる立場を与えられながらも、最終的に何も変えることができないことに気付かされ、気付いていく。
ではなぜ主人公はこの無間地獄のような「流星ワゴン」の旅を続けるのか。
「たいせつな場所」に行くためである。そしてそこがなぜ「たいせつな場所」だったのか、残酷な現実の上をなぞる痛みをもって気付くため。そしてその痛みを通じ、かつて作り上げていた父親・夫・息子としてのルールを壊し、そこから自分を解き放つためである。
最終のエピソード、息子が刺したナイフにより飛び出した黒ヒゲ人形や、主人公が息子にかけた「おまえの勝ちだよ、勝ち負けなんて自分できめちゃえばいい」いう言葉。少々間抜けとも思える情景が、主人公の魂の解放を表しているようでなんとも言えず心に染み入る。
自分自身の日常を懸命に生きながら、主観と客観のバランスをとることは難しい。だからこそコミュニケーションはディスコミュニケーションへと容易に化けてしまう。
最後にこのレビューを書くもとになった、主人公の妻の一節を引用して締める。

「他人事みたいに言うと、言いやすいね」
| | 21:37 | comments(2) | trackbacks(3)
九月の四分の一
しばらくサボタージュしているうちになにやらレビュー機能とやらが追加されているので早速試してみる日記。

そういえば筆者は何の因果か3月初旬に欧州出張に行くらしいのだが、エセ関西弁とエセ日本語しかエセ操れないドメスティックルネッサンスたるエセ名古屋市民としては大変に心細く、かといって仏蘭西語なり阿蘭陀語なりをたかだか2週間で会得できようはずもなく、さぁいよいよこれは大人しくホテルに籠って本の世界にでも逃避してやり過ごすべぇかと、正月に買い貯めた書棚の肥やしに目を馳せた刹那、ふと目についたのがこの本で。
目についた理由は至極単純。裏表紙のあらすじ欄に「ブリュッセル」の文字が見えたから。
大崎善生さんが好きでこの本を選んだこと、その本が今回の旅の目的地を舞台にしていたこと、またそのことに出発直前になって偶然気付いたこと。
嗚呼これこそは運命かと身震いのする思いであるが、この素敵な偶然をお守りに「語学はなくとも心は錦」の精神でベルギーワッフルたらふく食ってきたいと思う。
ちなみに5日間でジュネーブ⇒ブリュッセル⇒パリと動きます。お土産とか欲しいひとは連絡ください。努力します。

というわけで全然レビューじゃありませんが、読んでないんだからしょうがないの精神で今宵はここまで。
| | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0)
変身
本人の意思と異なる方向に狂いゆく運命、それを少しでも正そうともがくほど、皮肉にも破綻はスピードを増していく。
どちらかというと主人公の後ろ側(過去)に物語の重心が存在し、それを紐解いていくなかで次第に前方の視界が鮮明になっていく。
そして中盤以降のスリリングな展開が続くなか、やがて”そうすること”でしか大事なものを守ることができない、その結末に引き寄せられるように物語はクライマックスへと近づいていく。
ストーリーも仕掛けの方法も全然違うけれど、映画「バタフライ・エフェクト」を観たときの感覚に近い。
実に切なくて苦しいハッピーエンドである。

また登場人物の私記が随所に挟まれていることで、物語のなかに散りばめられた”真実”と”嘘”をある程度整理しながら読み進めることができ、大変読みやすい。
もちろんミステリーとしての謎を存分に楽しむための整理に留められているので、押し付けがましさは皆無。読書が遅い私でもグングン読み進められた。

ある登場人物について感じた違和感が最後まで払拭されなかったのが唯一残念だが、それを差し置いても間違いなくおもしろい。
小説家って上手だなーと関心した一冊。
| | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0)
センセイの鞄
正月暇つぶしの本屋でなんとなく目に留まって買った本を今しがた読み終わったわけです。
時間軸とか分かりやすい起承転結とか、そういう秩序めいたものとは別のところで流れていく、ふんわり曖昧模糊とした世界観(或いは、主観的で自分勝手な写述)は大変好むところでありまして、心地よい浮遊感とともに様々な情感を引き起こされるいい本でした。
特に共感を覚えるのは、その主観的な世界をあくまで”ツキコさん”の一人称で眺めながら、常に同じリズムの上にもうひとりの主人公である”センセイ”の存在を同調させる描き方で。
字面的にはひとりきりの時間帯とふたりで過ごす時間帯が交互に訪れる物語の中でも、読み手としては常に全体を通して”ツキコさん”と”センセイ”がずっと隣に並んでいるような印象を受けるわけです。
これはこの本自体を物語の高い空から俯瞰するのではなく、かといって一人称としての”ツキコさん”からの視点に固執するわけでもなく、互いに近しい感情と近しい願望を持つふたりの中間地点に重心があるからだと思います。

皆がそうかはわかりませんが、私は恋愛感情を抱くとその相手を自分の意識下・生活下に常駐に近い形で住まわせてしまうきらいがありまして。
旨いものを食っているときはそれを隣で旨そうに食う相手の姿を、友人と温泉に入っているときには風呂上りに湯の感想を告げる相手の姿を、そういう形になりえない概念的なものを視界に捉えようとする癖があって、そういうときに「あぁ、自分は恋愛状態に陥っているのでろうか」と改めて認識するわけです。
例えばそういう人間を主観に物語を描けば、ひとりの描写の中にもうひとりが感じられることもあるのかも知れないなと。
気恥ずかしいような愛しいような、そんな思いのする小説です。
| | 11:37 | comments(0) | trackbacks(1)
天女が掃き取る永遠、膨張する宇宙
聴き終わるのに20分かかるプログレッシブロックの邦題みたいですが本文とはさほど関係ありません。いやあるか。

こんな時間になぜ日記を書いているかというと、月曜午前の決裁に向けてやらねばならない資料の修正をほっぽらかして金曜の夜から朝まで飲み騒ぎ、その午後から友人の結婚を如何に祝うかについて打ち合わせをしそのまま翌朝後輩宅で目覚め、今日は昼から犬山でバーベキューに興じ、酔いつぶれて帰宅後昏睡、さきほど目覚めたら23時半、あぁこれは大変だと焦りながらどうしても読みたかった本がありついつい手を出したが最後、物語が結末を迎えたのは午前2時25分、さぁどうしたもんかと途方に暮れついでにとりあえず日記でも書いて気を紛らわせるかと、そういう状況です。

あまりにも象徴的で感傷的すぎる物語の後段、その世界からいくら意識は現実に戻ってきたといえ、いきなり、ただ事実を説明し取り繕うことを使命とし味気ない文字と図表に占拠されたA3サイズのエクセルファイルなんぞをあっけらかんと開くことは到底できず、さはさりとてあれ如きの資料を時間に間に合わせられないような体たらくでは金曜から日曜まで遊び呆ける資格なしという当たり前のところもあり、そんな中でどうしようもなくただ日記を書いているのが今。
フワフワして安らかなパンツ一丁の自分から、スーツで武装して人に認められる姿を演じる自分へと移行するまでのちょうど中間のような、マクロスで言えばガウォーク状態のような、そんな中腰の精神状態をいまここで文字にしてぶつけとるわけです。
こんな闘病記みたいな日記を読んでしまった人はかわいそうですね。
あーかわいそう。

さて、ちょっと気が済んだので仕事します。
| | 03:18 | comments(0) | trackbacks(0)
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