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700系のぞみで思うこと
新幹線に乗っていると、トイレの空き状況をランプの点灯or消灯で示してくれるのであるが、いまだにどちらが空or満を表しているのかわからない。
これまでの人生経験からするとたぶん点灯=満なんだろうと想像するものの、いざ猛烈な便意に追われている場合を思うと、トイレマークがこうこうと点灯していればつい駆け込みたくなるのが生物のサガではなかろうか。そしてそんな希望に満ち溢れた肛門が不意に満席のトイレを前にしたとき…そこで何が起こるかはご想像にお任せしたい。
そうしたことも勘案すると、空or満どちらの場合にランプを点灯させるかは議論の分かれるところであるが、少なくとも言えることは現行の表示方法は全くもって不親切ということである。

ただこうやってタラタラ文句を並べてはいながら、ではトイレ空満表示ルールの正解について知りたいのかと尋ねられると、実はむしろ知りたくない、知らない自分でありたいという欲求があることにふと気付く。
この矛盾は何だろう、胸に手を当てる。

たぶん、騙されたいのだと思う。
限界を超えたところにある世界、便意の上にある便意を感じたいのだと思う。「漏れる」というリアルな危機を乗り越えた先にあるカタルシス。
それは“オラより強ぇヤツ”を求め続ける孫悟空のメンタリティーにも似ているし、罠とわかっていながらもついついドキンちゃんを助けてしまうアンパンマンにも通じる。
要するに旧来的なヒーロー像とはある種マゾヒストの典型であり、それに憧れるやつぁ自分を含めみんなマゾなんだろう、ということで本日の話はおしまい。
| コラムと下ネタ | 13:10 | comments(0) | trackbacks(0)
青春の滓
残業中、懐かしいひとから携帯に電話があった。
こさくらのママだ。

「こさくら」というのはぼくが名古屋に来て以来最も思い出深い遊び場で、錦の真ん中にあった伝説のスナックである。
ただ伝説といってもそれはほとんど都市伝説みたいなもので、「金曜の夜なのに客がいない」と寂しげに電話があってあまりに不憫で店に行ってみると客どころかホステスまでひとりもいなかったり、逆に忙しいときにはなぜか客がおつまみや水を買い出しにいかされてしまったり、何度も経営危機が囁かれながら唐突に規模拡大リニューアルしてしまったりと、とにかくそこはいつ訪れてもエキセントリックなパワーに満ち満ちた、時空の裂け目のような場所だった。
そして件のママはまさにその不条理劇の監督たるにふさわしい御仁で、海千山千の女豹たちがしのぎを削る錦三丁目のなかでも、そのルックス・サービスは明らかに一歩抜きん出ていた。全盛期のマサ斉藤よろしく発達した腹部、その肢体に不機嫌にまとわりつくヨレヨレのシミーズ。それはつきたてのお餅と桜の葉のコンビネーションに似た、そう、まさに魅惑の”桜餅BODY”。
パーマネントの稜線が艶っぽい黒髪と苦みばしった表情はさながら長州力、男どもを悩ますハスキーボイスは築地市場の朝を髣髴とさせた。
そしてそんなBIGなママが切り盛りする、笑いあり涙ありカラオケあり全裸あり宿泊あり値引き交渉ありのバーリトゥードな遊び場「メンバーズこさくら」を、ぼくたちはありったけの愛情と感謝を込めて「相撲スナックこさくら」と呼び、夜な夜な繰り出していたものだった。

・・・
ああ懐かしいなー、あの頃は楽しかったなーと回想にふけりつつ、着信は無視した。
100%選挙関係の勧誘だもの。それがこさくらのママだもの。
| コラムと下ネタ | 01:30 | comments(0) | trackbacks(0)
自浄トイレット
あったらいいなと思うトイレの新しい機能を教えてください
というお題が松下電工から出されたのでそれについて。

「T・A・N機能」
図らずもかわいい顔文字のようになってしまい気恥ずかしいが「T、A、N」である。
といっても便器を痰壷として活用しようとか、最新のナノテクノロジーにより吐きかけた痰を原子レベルまで分解しようとかそういう生理的にアレなことをいうつもりはないので安心して読み進めていただきたい。
皆さん誰しもが経験したことがあるだろう、熱くこみあげる便意に促されるがままいざ大物を産み下ろさんと個室の扉を開けた刹那の光景、真っ白な半紙(便器)に筆勢猛々しくしたためられたひと筋の草書(前の人が流すときにへばりついたうんこ)を。
不快、実に不快である。ブツの落とし主を最新のナノテクノロジーでナノナノにしたろうかと思うほど不快である。
しかしいかんせん、こうしたケースでは落とし主に悪意がないのも事実であり、彼らを責めるのも筋違いではある。誰しもすすんで自分の残骸を他人に晒しているわけではないだろうし、実際問題へばりついてしまったからにはその呪いを解く魔法など誰も持っていない。まぁそんな魔法があっても使い途はこの状況か、もしくは進路を邪魔するうんこを取り除くときくらいのものだが。(フェリーで九州に移動中、コンピュータが佐世保のフェリー降り場にうんこ置いたシーンは今もトラウマ)

閑話休題。
はてさて困ったそんなとき!!ハイテクお助けマシンとして登場するのが今回ご紹介する「T・A・N機能」である。
仕組みは簡単。通常のウォシュレット(※)のノズル、あの上向き(A向き)にシャーっと悦楽タイガーショットを繰り出す例のアレを、180度回転させて下に向けるだけである。あとは水圧をMAXにして、便器にしがみつくおぞましき前世の呪いに向かってファイヤーするのみ。ムーブ機能も駆使すればさらにガンコな地縛霊もあっという間に成仏得脱。
いつもは後ろめたさ満点に逃げ去っていたトイレが、罪悪感レスそして文字通り残便感レスのスッキリスポットに!
嗚呼すばらしきかなT・A・N機能。

さて勘の良い読者諸兄ならもうお気づきでしょう。
「T・A・N機能」=「立つ鳥 跡を 濁さない 機能」
決してかわいい顔文字でイメチェンを狙ったわけでも、出版のタイミングに合わせて実の妹を犯罪者に仕立て上げたわけでもないので悪しからず。

(※)「ウォシュレット」はTOTOの商標です。
| コラムと下ネタ | 00:45 | comments(0) | trackbacks(1)
やりすぎくん
名古屋タクシー協会が全面禁煙化とのこと。
自分は吸わないからどっちでもいいのだが、とりあえず思うのは、過激だなぁということ。
公共性からかなり縁遠いこのビジネスにおいて、このええ子ちゃん具合、マーケティング放棄っぷりは何なのだろう。
会社単位でなく協会として決定しているあたり、「名古屋のイメージアップ」とかいう聞くだけでゲップが出そうな目的意識が働いているのだろうが、先生の言いつけを何も考えずに踏襲しておすまし顔の学級委員みたいなもんで、いかにも阿呆っぽい。
分煙とか、商機じゃないのかなー。

似たようなニュースで、少年少女向け犯罪の未然防止とかいって小学生の集団登校に父兄が同伴しているる映像を見たことがある。
道草も寄り道も禁じられ、部屋の中で遊ぶしかない子供たちがその後どんなことになるのか大変興味深いところではあるが、少なくとも、意気揚々と”正義”の目で子供たちを見下ろす父兄の姿は不気味としか言いようがなかった。

何が言いたいかというと、みんなノリが良過ぎるんじゃないかということだ。
過剰は異常です。くわばらくわばら。
| コラムと下ネタ | 21:27 | comments(1) | trackbacks(1)
始祖鳥de親子丼
ものの順序というのは思いのほか重要である。
・靴下は左足から
・三角食べは味噌汁から
・前戯は乳輪から
こうした慣例的序列を破ったとき、ひとは言いようのない違和感に苛まれる。
誤解なきよう、上記の例は筆者とは無関係であることを強調しておくが、なんにせよひとはそれぞれ自分の順番を持っていて、意識せずともそのきまりに従って生活している。ひとの行動において順序というのは大きな意味を持っているのだ。
言葉も同じである。

「卵が先か、鶏が先か」という表現を考える。
この謎かけめいた表現は通例「明確な答えはないからどうしようもない」という諦めの念をはらみながらも、不安定な与件をあえて不安定なまま共有することでとにかく議論を先に進めたい場合などに用いられるが、実際問題この言葉そのものだけをとらまえれば、その答えはふたつの方法によってある程度固めることができる。
ひとつは進化論に則った考え方、広義の「卵」と「鳥類」の存在はどちらが先であったかということで、現在の学説を正とするならそれはもう圧倒的になんらかの「卵」の方が先に存在していたはずなのである。始祖鳥とワカメの卵はどちらが先に存在したか?答えはワカメである。
ただこの考え方には重大な穴があって、前述した”広義”というところを拡大解釈ととられる可能性は否めない。
日本語が使える人間なら誰しも理解できることで、
「卵が先か、鶏が先か」と聞けば即ち
「(鶏の)卵が先か、鶏が先か」ととらえるのが”普通”である。
であるからして、この解答をもって鬼の首獲ったりと誇らしげにひけらかしたところで「屁理屈」「左脳人間」「去ね」などと周囲全般から誹謗中傷のシャワーを浴びせられるのがオチである。

一方、もうひとつ全く異なる解答法があって、それは人間の心理的なところをもとにした考え方である。
これはもう至極単純な話で、質問の仕方を
「卵が先か鶏が先か」と「鶏が先か卵が先か」
どちらで聞くかによって決まってくる、というのが結論だ。
前者で質問されれば誰しもまず卵⇒ひよこ⇒鶏⇒産卵 という映像を頭に描くし、後者で質問されれば鶏⇒産卵⇒卵⇒ひよこ という絵を浮かべるであろう。
この映像を思考のなかでエンドレスループさせているうちに脳内はグダグダのメロンメロンパンナちゃんになってしまうため翻弄されがちであるが、少なくともそのループのスタートとして選んだ方(質問の際に先に言われた方)を、なんとなーく潜在的に”先”であるかのように感じてしまうところがないだろうか。それが答えである。
一見モヤッとするような解であるが、もし物理的なところで納得できる答えが出ないのだとすると、こういった解答法も立派に意味をもってくるのではないかと思う。
これまた「もう喋らんでええよ」「お前も帰ってよし」と軽く2日ほど出社拒否したくなるような罵詈雑言を頂戴する可能性があるが、前者の論法を説くよりは結果として嫌われずに済むんではないかと思う。

太陽は昇って沈むというが、実際にはそれと同じ回数沈んで昇っている。
窓は開けたら閉めるべきだと教えられたが、閉めたら開けるべき季節だってある。
便宜上つけた言葉の順番がひとの意識・イメージを潜在的に左右し、さらには一般論やルールとして社会的にひとり立ちすることだってある。
あのカトちゃんのお茶の間ギャグだって、順序を変えた瞬間一挙にその軽妙なテンポを失い、スカトロフレイバー漂う有害フレーズへと生まれ変わってしまう。

ちんちんうんこ。
言葉の順序というのは、思いのほか重要である。
| コラムと下ネタ | 11:53 | comments(0) | trackbacks(0)
商業主義随想
CM、略さずに言うとコマーシャルメッセージ。
その名の通りそもそもが商売じみたものであり、売りたい・儲けたいサイドの者からの熱く切ない魂のポエムである。
で、あるからして、その演出方法や文言等で多少耳につくところがあったとしてもそれはある種の必要悪、当たり前のことなのであり、それがちょっと自分の趣向にそぐわない、嘘・大げさ・紛らわしく感じるからといって簡単にJAROに電話したりするのは、これは大人として大変よろしくない。
脳・脊髄・シナプス系における余裕しろのなさ、いわゆる懐の浅さを自ら露顕させるようなもので、それこそ大げさ・紛らわしい主張と見なされても弁解の余地はないと思う。

という風に基本的にはマスメディア寄りの考え方を持っている筆者だが、昨今のCMで濫用されるようになったある一節が実に気になっている。
それはCMのラスト1秒に挿入される「売れてます!」というセリフ。
”売る”ためのメッセージに”売れてます”という表現を使う、これってなんなんだろうと思う。
もうあれですか、考えるのやめましたかと。
もはやサブいとかそういう領域を突き抜けてしまっててただただゲンナリする感覚。
あさましき扇動者としての姿を美しき表現者としてのオブラートで包み込む構造があるからこそ、CMにはその独自の世界観・押し殺したおもしろさが滲み出てくるものだと理解しているが、そこで「売れてます」なんてアパレルの店員じみたこと抜け抜けと言われた日には、扇動される側の人間として「やられた」と柏手を打つこともなく、実に寂しい思いがする。
「信者は○○万人です!」を売り文句にする宗教家の思想に果たして魅力を感じるだろうか、ということである。

同様の感覚を抱いた話題が先日のヤフートピックスにあった。
「実力派バンド○○、あの名曲のカバーで本格デビュー!」
バンド某がカバーするのはお馴染み「夏の日の1993」だが、曲云々はこの際どうでもいいことで。
なぜ"実力派"バンドがカバー曲でデビューするのかと。
もとい、なぜカバー曲でしか離陸できない新人を、臆面もなく”実力派”と言い切ってしまうのかと。
カバー曲の魅力、アレンジ次第で新しい旨みを引き出せる可能性を否定するつもりは毛頭ないが、少なくとも新人がデビュー曲でやることではない。
新加勢大周とやっていることは同じだが、あれは少なくとも誰が見てもネタだった。
今回の件ではより売り手側の本気度、「素でウレるんちゃうんか」と思っている感じが強く感じられる分、脱力してしまう。

ある意味、売り手側からこういった形のアプローチがなされることに対して我々はバカにされていると思った方がいい。
つまるところ重要なのは商品の質なのでモノが良ければ買えばいいと思うが、その購買行動が結果論そういった浅はかなアジテーションに対する評価となってしまうことについての意地だったり引っかかりだったりする感覚は持っていたい。
個人的にはそう思う。
| コラムと下ネタ | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0)
躁メン
流しそうめんやりました。
警戒していたのと全く違うところでどんでん返しが起きてしまい、図らずも笑いあり涙ありのドタバタサスペンス然となりましたが結果的には成功。流したいそうめんから流したぜそうめんに晴れて格上げとなりました。人生2度目の童貞喪失を味わった幸せものです。

以下、素材があるものだけダイジェストで。


本企画遂行においては頼れる後輩の人足と敷地と農具一式をお借りしまして、ふたりしてこんな感じの完全装備でスタート。竹林へと向かう我々に後輩のお母さんが虫除けスプレーと一緒にキンチョールを渡してくれるので若干たじろぎましたが、攻めの姿勢が大切なことはオシム氏もおさむちゃんも体言していること、いつの世も母は偉大でアグレッシブです。



爆走軽トラで竹林へと突入、その後は鬱蒼と茂る幾多の竹の中からこちらに語りかけてくるようなスピリチュアル・ワンを探します。しかして出会った一本を雷鳴轟く猿谷秘境にて伐採し、この新ドライバー雷電をもってすればあのタイタンにも太刀打ちできるぞと高々と上げる雄叫び、「これやー!」



猿ゴルファー並の高テンションを維持しつつ作業は順調に進み、厳選した2本を3分の1ずつに切り分け軽トラに積載、意気揚々と後輩家へと帰還したわけです。
細い枝がフロントガラス前に垂れてチェッカーズみたいになってますが気にせず進みます。



帰宅後はいい太さの部分を選び、軽トラの上から思い切りナタで切れ目を入れ金槌で叩きます。
裂ける、裂ける。しんどいけどこれかなり気持ちいい。



まっぷたつにしたあとは中にある節を小刀でえぐりとります。
かなり地道かつ指に負担のかかる作業も、流麗なそうめんの流れをイメージしながら根気良くえぐり続けます。とにかく美しいものを手に入れたい、バンコランのメンタリティーで頑張ります。
それまで頑なにアナログ作業を貫き通していた我々に対し、途中から後輩の父上がエレキなエモノを次々と差し出して誘惑をしてきました。電気カンナ、電動ドリル・・・
土地バブル、ITバブルを知る我々世代はそんな甘い汁には飛びつかんぞと一時は抗うわけですが、目の前で繰り広げられるスピード・効率・カッコよさに満ちたエレクトリカルパレードはまさに圧倒的で、いつの間にか我々もスイッチひとつで進捗する作業機械の虜となったわけです。


そうこうしてできたのがこれ

当初思い描いていた以上に立派なものができたなーと結構感動したりもしたわけです。24時間テレビ的には武道館まであと3キロあたり、いいところまできてます。

そして1週間後、いよいよ本番を迎え我が家にそうめんスライダーが設置されました。どどーん。






スケルトンスライダー!ペットボトル感100点満点!

実は竹スライダーは作業3日後に無惨にも乾燥して縮み、ものの見事に筒状になってしまったとさ。
でも負け惜しみとかじゃなく、ペットボトルでも十分楽しかったです。
これだったら小1時間で作れるしキンチョールも要らない。何より全工程をインドアでも楽しめるあたり、梅雨どきのひと味違うレジャーとしてかなりオススメです。
携帯でとったハイテンションな動画を上げれないのが残念ですが、何はともあれ貴殿もぜひおためしあれ。
| コラムと下ネタ | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0)
思春期と音楽
思春期は熱い。
冷めたふりしても斜に構えても無駄だ、この真理に抗う術はない。
リアルに冷めはじめた27歳になった今ならわかる。思春期は、熱いのだ。
しかし思春期はその余りの熱さゆえいつも放熱の対象を必要とする。思春期にはアースが必要なのだ。
また思春期は熱いと同時に阿呆なので、アースの種類は必然的に集約される。
例えばヤンキーデビューするとか、生徒会で校則改正に燃えるとか、学校指定のスリッパを力一杯カスタマイズするだとか、そんな風にして思春期は思春期なりに社会に影響がないところで集合し、盛り上がり、トチ狂い、そして放熱する。
ひとことで言えば空回りだ。空回りこそ思春期の生き様である。

前置きが長くなったが、かくいうぼくも中学・高校時代はメタル小僧としてそんな空回り人生を謳歌していた。
熱くて阿呆で真性包茎だった思春期のぼくは、ありったけの愛情と時間と金をHM/HRに傾けつつ、一方で邦楽、今でいうJ-POPというやつを力一杯軽蔑することで、日々熱狂と放熱を繰り返していた。
ギターソロがないとか、クラシカルじゃないとか、BURRN!に載ってないとかそんな不条理極まりない基準だけで邦楽を踏みにじっていた(ごく私的に)思春期のぼくは、それはもう尊大で傲慢で横柄で、さらには真性包茎だった。

しかしそんなぼくに衝撃が訪れたのは高校2年のときだった。衝撃の主は「ロビンソン」という曲である。
必死で嫌おうとした、なぜなら邦楽だから。一晩寝かせた嫌悪を茹でた嫌悪で巻きひたひたの嫌悪で煮込んで嫌悪風に盛り付けたシェフの気まぐれ嫌悪をもって挑むも、その曲のメロディーと草野氏の声質をもって生まれる怒涛の如きリリシズムに対しては全くの無力。ハットリくんの言葉を借りれば、ニンともかんともといった心境。完敗だった。
そしてそれ以来ぼくは自らの了見の浅さを悔い、邦楽に対するスタンスを改めた・・・
というわけでもなく、"それはそれ"とあっさり切り替えてひと通り思春期を終えるまではやっぱりI hate 邦楽の姿勢を崩すことなく、チンチンの皮も100%かぶったままだった。


ということをiTunesで買い物をしながらふと思い出しましたという、ただそれだけのお話。
| コラムと下ネタ | 00:11 | comments(4) | trackbacks(0)
荒みストリート
もじゃもじゃ人形がこれ以上ないバタ臭さで初等英語を教育する某人気番組において、民放連のガイドラインに違反する部分があったとしてテレビ東京が謝罪していた。
「出演する人形がどれもこれも異常者の目をしていて英語どころではない」 ということではないようで、某「ポ○○ンゲットだぜ」で有名なアニメでも話題となった、てんかん防止についてのガイドラインに抵触したらしい。
その某「○コチ○ゲットだぜ」で有名なアニメでは、画面いっぱいの点滅(輝度変化)をけたたましく繰り出した結果、テレビの前のよいこのみんなが三枝師匠よろしく一斉に椅子から転げ落ちるという大事故を巻き起こしたわけで。
それをきっかけにNHKと民放連の連名で、件のアニメーション等の映像手法に関するガイドラインが作成された。らしい。

内容を読むと色々なことが書いてあるが、ざっくりまとめると「原則として1秒間に3回を超える激しい点滅は避けましょう」という点が最も重要であることがわかる。
ポ○チンの前例に懲りず、モジャモジャの○ッキーモンスターが今回やらかしたのはまさしくこれで、輝度変化の大きい点滅を、あろうことか1秒12回ものピッチで炸裂させたのだそうだ。
幸いモジャモジャのボッ○ーモンスターの過失に対して今のところ被害報告はないとのことであるが、こういったことが現実に起こりうる以上はぼくも息子を持つ身として決して他人事ではない。下腹部の引き締まる思いである。

みなさんもアニメを見るときは”へやをあかるくしてがめんにちかづきすぎないように”するか、もしくは画面の点滅にまばたきを合わせる合気道めいた技術を身につけるか、いずれかの対策を心がけていただきたい。
| コラムと下ネタ | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0)
下腹部国際空港
昨日今日と静岡で泊まりの会議があって、取引先の面々を送るのにバス添乗員としてセントレアまで行った。
元気いっぱい取引先を見送ったあと、そのまま直帰というのもなんだかあれな気がしたわけで。
そんなわけで、かつて”銭湯レア”というリリカルでファビュラスでヒトゲノムなチェリーパイジョークの元となったスパ銭「宮の湯」でひと通りホッコリすることにした。
さすがに無理やり空港内に作っただけあって本当にジョークかと思うほど狭かったが、その特殊性ゆえ見どころは満載であった。以下はその感想。

・入浴中にジェット機の離着陸が見えるよう作られているが、目の前で湯船を出入りするちんちんの離着陸の方が気になってそれどころではない。
・感極まってか、狭い湯船を平泳ぎで往復するおやじがいて、ひと通り泳いだあと隣に座られた。やっぱり離着陸どころではない。
・サウナに入ったら12分間ずっとひとりぼっちだった。汗が落ちる度に寂しさが募る。
・前述の通り規模は小さく客も少ないが、お掃除おばちゃんは通常の4倍くらい居て、スパルタンXみたいに次から次へと登場してくる。
・結果として、男湯なのに男女比は銀座高級クラブ並。

湯〜言実行男キタジマモドキは置いといて、あのお掃除おばちゃんのワサワサ感には本気で驚いた。量的プレッシャーであやうくちんちん起ちそうになった※、新種のプレイかあれは。

さておき、それにしても男湯で居並ぶチンチンズに対する、お掃除おばちゃんのあの威風堂々たるおすまし振りはいつ見ても清清しい。
「見えてたっていいじゃない、萎えてたっていいじゃない」
あえて焦点を望まぬその瞳の奥からは、温かな母性の囁きすら聞こえるようだ。
きっとそこに至るまでには幾多の厳しいちんちん面接を潜り抜けてきたのであろう、あの自信と慈愛に満ち溢れた佇まいは今後ぜひとも見習いたいところである。


  ※ うそです
| コラムと下ネタ | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0)
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